本日は夕方に東浦和駅で宣伝しました。
風が強いなかですが、多くの方が消費税増税に反対する署名に協力してくれました。
ありがとうございました。
s-140926 東浦和駅宣伝 (5)



さて、これまでこのブログで何度も取り上げてきましたが、
大宮区の三橋公民館報に

梅雨空に 「九条守れ」の 女性デモ 

という俳句が掲載されなかった問題についてです。

9月24日にさいたま市の稲葉教育長が記者会見を行い、

当初は検討するとしていた公民館だよりの今後の記事掲載基準づくりを断念する意向を明らかにした。

と9月25日付の「埼玉新聞」で報じられました。


「埼玉新聞」 9条俳句拒否問題 さいたま市教委、掲載基準づくりを断念
http://www.saitama-np.co.jp/news/2014/09/25/04.html

私もこの問題で市民団体のみなさんと市に抗議に行きましたが、
そのときも「基準」が問題になりました。
けっきょく、不掲載を決めた時点では基準などなかったことが明らかになり、
「ない基準で不掲載とはどういうことか」と強い批判が出されました。
さらに市が「これから基準をつくる」という見解を示したことから、その場で多くの参加者から
「市が基準を決めるのは問題」「基準を市が一方的に決めるのは許されない」などの抗議の声が出されましたが、その通りになりました。

この「埼玉新聞」の記事では次のような稲葉教育長の発言が紹介されています。

「基準をつくるのは危険がある。掲載するかどうかを判断する場合は、館長が1人で決めるのではなく、地域の人と相談しながら行うのがベストだろう」  

市教育委員会が場当たり的な対応を繰り返して、憲法を脅かす言論抑圧を行ったことは重大ではないでしょうか。

さらにこの記事では

また、俳句を掲載しなかった理由として、市教委は世論を二分するテーマが扱われていたからと説明しているが、同教育長はその前提は変えないとしながらも「これからは意見を聞いて載せるべきだとなったら、私としてはそうした方がいいと考えている」と述べた。

もう市の対応は間違っていたと認めたも同然です。
なお、「世論を二分するテーマが扱われていた」という基準自体があいまいで恣意的な運用を可能とするものであり、まったくなりたたない理由であることは明らかです。

なお清水市長は8月28日の定例記者会見でこのことを記者に問われ、
「教育委員会の政治的中立性」を根拠に市教委の態度を擁護しました。
しかし、記者から、公民館側が判断すればそこに中立でない恣意的な判断が入るのではないか、と問われた市長は「理解できない」と逃げることしかできませんでした。
もし本当に「理解できない」のであればそれも重大問題ですが…。
私は、俳句を不掲載にした市教委は、むしろ政治的中立性を損なったとみるべきと考えます。



上記の記者会見のやり取りは以下のとおりです。長くなりますが、市のホームページからそのまま引用します。
できれば読んでほしいですが、面倒な方は飛ばしてください(^_^;)

〇 埼玉新聞 関連してなんですけども、政治的中立性ということで判断されたということですが、市長は今回の俳句について、何の立場と何の立場で判断が分かれているものと考えて、そういうふうに今のような発言をされたんでしょうか。
〇 市 長 ちょうど国会において、集団的自衛権についてのいろいろな国レベルの判断の変更があるないというような状況、いわゆるいろいろな議論がある中でということであって、時期がそういった時期にあったというようなこともあって、かなり慎重な判断があったのかなと考えております。
〇 埼玉新聞 じゃ、すいません、これは、この俳句は集団的自衛権に賛成する立場、反対する立場に分かれているものについて取り上げていたものだからということで、そうしたということとお考えだということですね。ただですね、私がちょっと聞いているところによりますと、俳句を載せないという判断をしてから、作者とか句会のほうには伝えたと聞いています。俳句というのは、やはりいろんな受け取り方をできるものだと思うんですが、その段階でどうしてそのどちらかの立場を示すものだと教育委員会なり公民館なりが判断できたのかなというのをすごく私は疑問に思っておりますが、その点については市長はどういうふうにお考えですか。
〇 市 長 質問の意図がよくわかりません。
〇 埼玉新聞 あのですね、ですから本人につくった意図とかを聞いた上で判断したんだったら拒否したという理由がわかるんですけども、そうじゃない段階で決めてご本人たちに伝えているわけです。そういう意味で、あの俳句がどちらかの立場を示すものだというふうに判断したわけですよね。
〇 市 長 それは、要するに編集する、しておられた方々がそのように感じて判断をされたということだと思います。
〇 埼玉新聞 でも、その判断をする基準ってどこにあるんですかね。もちろんそれは公民館がいろいろ判断する基準あるのかもしれませんが、市長はどういうところで判断するもの、すべきものだと思われますか。
〇 市 長 例えばやはり両側というか、片一方だけではなくて、例えばこの間もお話ししましたけれど、賛成、反対があるとすれば、両方の意見が載っているような場合であれば、市がそういったものを載せているということでは
なく、通常のものという考え方ができるのだろうと思いますけれども、1つの意見だけ載せたように見えてしまうということについて、少し心配をし過ぎたのかどうかわかりませんけれども、そういう判断をされたということは、おおむねをつけさせていただいたつもりですけれども、間違いとは言えないのではないかと思ったわけです。
〇 埼玉新聞 ただですね、中立性を言いながらそこで判断をした、ご本人たちに聞かないで判断したというのは、まさに恣意的だと思うんですけれども、それはどうでしょうか、お伺いします。
〇 市 長 その意味がよくわかりません。
〇 埼玉新聞 中立性というふうに言いながら……
〇 市 長 それは、読んでいる側が判断することだろうと思うのです。
〇 埼玉新聞 ですよね。
〇 市 長 ええ。
〇 埼玉新聞 でしたら、提示して……
〇 市 長 それは、編集する側が読んでそのように感じたので、そういうふうに判断をされたということではないのでしょうか。
〇 埼玉新聞 そこは、公民館がそこを判断すべきではないんじゃないですか。判断するのは、あくまでも読者とか市民じゃないですか。
〇 市 長 ただ、編集をするわけですよね。
〇 埼玉新聞 はい。
〇 市 長 編集という仕事の中でそういうふうな判断をされてということだと私は認識をしております。
〇 埼玉新聞 そこに、中立性と言いながら、中立じゃない恣意的な部分があると思うんですけども、そうは思いませんか。
〇 市 長 ちょっと私はそこは理解できないです。
〇 埼玉新聞 そうですか。ただ、いろんな方が納得していないという状況は続いています。これを例えばどういうふうに解決したらいいとお考えでしょうか。
〇 市 長 本来公民館というのは、地域の皆さんで運営されている部分が強いと思いますので、もちろんそういった皆さんの声も十分踏まえながら、ただもう一方でやはり政治的な中立性ということが、やはり教育行政については絶えずつきまとう部分でもありますので、そういったことの中で十分協議をしながら、教育委員会の中で判断をしていただくということだろうと思っています。

平成26年8月28日 市長記者会見記録(全文、PDF)
 
 
紹介した「埼玉新聞」の最後はこう結ばれています。

掲載拒否への批判が各方面から寄せられ、句会や作者が納得していない現状を、稲葉教育長は「好ましくない」と認識する。決着をどのように図るかについては、「なるべく早く解決したいが、短時間で簡単にはいかないと思う」と厳しい見方を示した。 

解決方法は一つです。再掲載する以外にありません。
人というのは間違いをなかなか認められないものです。
しかし、間違っていたらそれを認める、というのは教育に携わる者として大事な態度ではないでしょうか。
それとも子どもに対しても「間違っていても認めず貫け」という態度で接するのでしょうか。
私は、市教育委員会は勇気をもってあやまちを認めるべきだと考えます。