9月議会で一般質問を行いましたが、
2番目のテーマはグローバルスタディ科についです。
いま、小学校の英語教育は5年生から、「外国語活動」としてやっています。
国は学習指導要領の見直しをしていますが、
2020年から小学校の外国語活動を3年生からにおろして、
5年生からは教科化しようとしています(つまり成績評価される)。
さいたま市ではなんと今年(2016年)から、
小学校1年生から全学年で「グローバルスタディ科」という教科名で英語教育が始まりました。
教科なので、1年生から成績がつけられます。
さいたま市HP/新しい英語教育「グローバル・スタディ」を実施しています
わが家にも小学生が2人いるので、ある意味他人ごとではありません…。
外国語指導助手(ALT)や非常勤講師を大量に雇うことなどから
予算は4億円ほどかかっています。
少人数(35人)学級を1学年増やすのに必要な予算が約3.5億円。
予算の使い方としてもどうなのかな、という思いもありますが、
今回はそのことは問いませんでした。
主に2つの観点で質問したのですが、
国に大きく先駆けて1年生からかつ成績までつけることの意味。
2つ目は、教員の負担増につながっている問題です。
一つ目について。
1,2年生は年間わずか10時間の授業数。どれだけ身につくものか。
効果ありとする根拠は何か、といったところを問うたのですが、
要は推進派の大学の先生の意見を頂戴して内容をつくっているので問題ない、
という答弁でした。
「英語教育を1年生からやってます!国際化が進んでます!」
と宣伝したいがために「先にありき」で
教育における意味合いについてまともな検討を
市教育委員会は行っていないなと感じました。
もっとはっきり言えば市長のトップダウンで進められたというのが色濃く出ている
というのが実態ではないでしょうか。
また、子どもの立場に立ったとき、
なんでもつめ込めばいいのでしょうか。
1年生で言えば、ひらがな・カタカナを習い始めて間もなく、
まだ学校生活にも慣れていないような時期に
英語で歌いましょう、踊りましょう、とはじまるのですから、
担任の先生にとって、また子どもにとっても、
これはたいへんなことです。
1年生からやることはどう考えても無理があります。
二つ目について。
いまでも教員の長時間労働や過重負担が問題になっています。
そもそも教員免許の英語は中・高校であって、
小学生の英語免許はありません。
つまり、小学生の英語教育を大学で専攻した人はいません。
今までやったことないことをやりつつ、成績をつけることを前提に教えるとなれば
授業準備が簡単なものではないことは容易に想像ができます。
また、質問でも指摘したことですが、
ALTの募集に当たっては、
「簡単な日常会話レベルの日本語が理解できること」
が条件になっていますが、
実際にはほとんど全く日本語ができないALTも入ってきています。
そのことで授業の打ち合わせにたいへんな苦労が生じている実態があります。
小学5・6年および中学では英語の教員免許を持っている非常勤講師をつけていますが、
1日5時間(14時半退勤)、または学校規模によっては複数校かけもちになっていることから、
特に小学校では打ち合わせをする時間の確保が困難になっている実態もあります。
これまでにも教員の多忙化が指摘され、
授業準備の時間の確保すらたいへんな状況があるのに、
新たな英語教育による負担を現場にかぶせるのは問題だし、
結局、普段の授業準備にしわ寄せがくることも懸念される状況があります。
しかし、こうした実態や問題をつきつけても教育委員会は
「ALTや非常勤講師が学級担任と協力して授業の準備をするので教員の負担にならない」
と答弁しました。
その協力者との準備が新たな負担を呼び起こしている実態を指摘しているのに、
それについては全くこたえず「負担にならない」と言い張る神経が全く理解できません。
それどころか
「今後続ければ慣れて打合せも簡略化できるようになる」と
負担がこれから軽くなるとまで言い出す始末。
教員たちが毎年同じ学年で教え続けるのでしょうか?
何年たっても最初のテキストを変えないつもりなのでしょうか?
毎年同じALT・非常勤講師と組むのでしょうか?
まった現実を見ない答弁です。
開いた口がふさがらないとはこのことです。
これでは現場でがんばっている教員のみなさんが報われないな、と
非常に悲しい気持ちになりました。
このような問題を直視できない教育委員会が進める学校教育を受ける
子どもたちの未来に不安しか覚えない、というのが正直なところです。
直接的にはグローバルスタディ科の問題ではありますが、
いまのさいたま市の教育が抱える問題が鋭く表れてると感じました。
引きつづき、小学生の子を持つ親の一人として、
学校教育の問題にはしっかりとりくんでいきたいと強く思いました。
↑教育長・副教育長の席の方を向いて質問してます。
2番目のテーマはグローバルスタディ科についです。
いま、小学校の英語教育は5年生から、「外国語活動」としてやっています。
国は学習指導要領の見直しをしていますが、
2020年から小学校の外国語活動を3年生からにおろして、
5年生からは教科化しようとしています(つまり成績評価される)。
さいたま市ではなんと今年(2016年)から、
小学校1年生から全学年で「グローバルスタディ科」という教科名で英語教育が始まりました。
教科なので、1年生から成績がつけられます。
さいたま市HP/新しい英語教育「グローバル・スタディ」を実施しています
http://www.city.saitama.jp/003/002/008/005/p022049.html
わが家にも小学生が2人いるので、ある意味他人ごとではありません…。
外国語指導助手(ALT)や非常勤講師を大量に雇うことなどから
予算は4億円ほどかかっています。
少人数(35人)学級を1学年増やすのに必要な予算が約3.5億円。
予算の使い方としてもどうなのかな、という思いもありますが、
今回はそのことは問いませんでした。
主に2つの観点で質問したのですが、
国に大きく先駆けて1年生からかつ成績までつけることの意味。
2つ目は、教員の負担増につながっている問題です。
一つ目について。
1,2年生は年間わずか10時間の授業数。どれだけ身につくものか。
効果ありとする根拠は何か、といったところを問うたのですが、
要は推進派の大学の先生の意見を頂戴して内容をつくっているので問題ない、
という答弁でした。
「英語教育を1年生からやってます!国際化が進んでます!」
と宣伝したいがために「先にありき」で
教育における意味合いについてまともな検討を
市教育委員会は行っていないなと感じました。
もっとはっきり言えば市長のトップダウンで進められたというのが色濃く出ている
というのが実態ではないでしょうか。
また、子どもの立場に立ったとき、
なんでもつめ込めばいいのでしょうか。
1年生で言えば、ひらがな・カタカナを習い始めて間もなく、
まだ学校生活にも慣れていないような時期に
英語で歌いましょう、踊りましょう、とはじまるのですから、
担任の先生にとって、また子どもにとっても、
これはたいへんなことです。
1年生からやることはどう考えても無理があります。
二つ目について。
いまでも教員の長時間労働や過重負担が問題になっています。
そもそも教員免許の英語は中・高校であって、
小学生の英語免許はありません。
つまり、小学生の英語教育を大学で専攻した人はいません。
今までやったことないことをやりつつ、成績をつけることを前提に教えるとなれば
授業準備が簡単なものではないことは容易に想像ができます。
また、質問でも指摘したことですが、
ALTの募集に当たっては、
「簡単な日常会話レベルの日本語が理解できること」
が条件になっていますが、
実際にはほとんど全く日本語ができないALTも入ってきています。
そのことで授業の打ち合わせにたいへんな苦労が生じている実態があります。
小学5・6年および中学では英語の教員免許を持っている非常勤講師をつけていますが、
1日5時間(14時半退勤)、または学校規模によっては複数校かけもちになっていることから、
特に小学校では打ち合わせをする時間の確保が困難になっている実態もあります。
これまでにも教員の多忙化が指摘され、
授業準備の時間の確保すらたいへんな状況があるのに、
新たな英語教育による負担を現場にかぶせるのは問題だし、
結局、普段の授業準備にしわ寄せがくることも懸念される状況があります。
しかし、こうした実態や問題をつきつけても教育委員会は
「ALTや非常勤講師が学級担任と協力して授業の準備をするので教員の負担にならない」
と答弁しました。
その協力者との準備が新たな負担を呼び起こしている実態を指摘しているのに、
それについては全くこたえず「負担にならない」と言い張る神経が全く理解できません。
それどころか
「今後続ければ慣れて打合せも簡略化できるようになる」と
負担がこれから軽くなるとまで言い出す始末。
教員たちが毎年同じ学年で教え続けるのでしょうか?
何年たっても最初のテキストを変えないつもりなのでしょうか?
毎年同じALT・非常勤講師と組むのでしょうか?
まった現実を見ない答弁です。
開いた口がふさがらないとはこのことです。
これでは現場でがんばっている教員のみなさんが報われないな、と
非常に悲しい気持ちになりました。
このような問題を直視できない教育委員会が進める学校教育を受ける
子どもたちの未来に不安しか覚えない、というのが正直なところです。
直接的にはグローバルスタディ科の問題ではありますが、
いまのさいたま市の教育が抱える問題が鋭く表れてると感じました。
引きつづき、小学生の子を持つ親の一人として、
学校教育の問題にはしっかりとりくんでいきたいと強く思いました。
↑教育長・副教育長の席の方を向いて質問してます。